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バスク・クリナリーセンター

昨年の9月にスペインのバスク地方、サン・セバスチャンにあるバスク・クリナリーセンターに行ってきたので、報告します。

1.概要
高城剛さんの著書「人口18万人の街がなぜ美食世界一になれたのか」を読んで、サン・セバスチャンに昨年開校した4年制の大学であるバスク・クリナリー・センターに強く関心を持ちました。世界に誇る食文化をもつ日本ですが、4年制の大学で、調理や美食に重点を置いた食科学関連の学部をもつ大学はなく、食を大学で勉強したい場合には調理関係は主として栄養学部で、食品関係は農学部、サービスや経営関係は観光学部などで勉強せざるを得ないのが現状です。外食産業などの食関連産業の高度化は、海外からの観光客誘致など日本の経済戦略上で重要であるため、その基盤となる食科学関連の高度な人材育成や研究開発の拠点整備は日本にとっても重要な戦略の一つと考えられ、その先行事例がバスク・クリナリー・センターだからです。

現在、食科学に関する大学はイタリアのピエモンテ州ポッレンツォという村に、食科学大学(University of gastronomic sciences)という、スローフード協会本部によって設立された教育機関がありますが、食文化などの人文科学系の食品に関する教育が中心であり、バスク・クリナリー・センターは調理科学に重点を置いた大学として、世界で初めてのものです。今回、ボルドーとバスクを旅行したのは、食による地域振興について、先進地の状況を視察したいという目的がありました。そのなかでも、高城さんの本にあるように、サン・セバスチャンは人口18万人の世界的な美食の街として、食文化による創造文化都市のモデルとして位置づけられます。その食文化を現実に体験するとともに、食に関する戦略的なプロジェクトとして位置づけられるこの大学を視察し、参考にしながら、今後の日本における食科学の戦略拠点整備の構想を描こうと考えました。事前に大学側とメールで連絡をとったところ、快く受け入れていただくことができ、今回の訪問に至りました。

バスク・クリナリー・センターは、サン・セバスチャン市の郊外に2011年9月に設立された4年制の大学です。バスク・クリナリー・センターを運営するバスク・クリナリー・センター財団は、2009年にモンドラゴン協同組合企業、バスクのトップシェフや公的機関の支援によって設立されました。ホームページによると、バスク・クリナリー・センターは、料理における技術移転と技術革新の促進を目的としています。その意味するところは、ハイレベルな知識の生成と有能な専門家の訓練であり、高度な料理の専門家やビジネス分野、直接・間接に美食に関連する食科学の他の領域に、技術や知識の移転を促進させることにより、国際的なセンターとしての地位を担おうとしています。あわせて、新たなビジネスやプロジェクトの創出とともに、関連産業における技術移転や技術革新の促進をもう一つの大きな目的としています。

なお、モンドラゴン協同組合企業とは、スペインのバスク自治州に基盤をおく労働者協同組合の集合体で、ビジネス集団として金融・工業・小売そしてナレッジの4つの活動領域をもっています。ナレッジ部門として、1997年にモンドラゴン大学を開設していて、バスク・クリナリー・センターはこのモンドラゴン大学の4番目の学部である食科学学部として運営され、卒業すれば4年制大学卒業の資格を得ることができます。

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2.運営

評議機関
バスク・クリナリー・センターの運営は、教育・研究関係はモンドラゴン協同組合企業の教育部門であるモンドラゴン大学が中心となって行っていますが、諮問機関として、国際顧問委員会Consejo Asesor Internacional(グループG9)が設置されています。委員長はスペインのカタルーニャの世界的に著名なレストラン、エル・ブジEl Bulli(現在休業中)のフェラン・アドリアFerrán Adriá氏で、美食に関して最も重要な国々9カ国のトップシェフ9人により構成され、バスク・クリナリー・センターの戦略についてアドヴァイスを行うものです。昨年の第1回目の会議がペルーのリマで開催されたのに続いて、今年の会議は9月24日と25日に東京で開催され(「世界料理サミット TOKYO TASTE 2012」)、委員の一人である服部幸應氏が校長を務める服部栄養専門学校との間で、国際的な食科学分野における安定したフレームワークをつくるための協力協定が結ばれました。
もう一つ、重要な機関としてシェフ評議会Chefs del Patronatoがあります。シェフ評議会は、マリ・アルサック、マルティン・ベラサテギ、ルイス・アドゥリスなどの三つ星レストランをはじめとする、バスクのトップシェフたちが定期的に会合を持ち、今後のバスク・クリナリー・センターの戦略を議論するとともに、彼らのもっている強大な知識を共有しようとするものです。

学生
昨年10月の開校のため、9月の訪問の時点では1年生のみが在学していました。最初の1学年の入学者の学生数は66人に抑えていますが、100人までは入学可能で増員する予定だそうです。地元スペインをはじめ、世界各国から学生を受け入れていますが、日本人は今のところいないようです。

一般愛好家向けの活動
バスク・クリナリー・センターは、料理の愛好家への教育・啓発活動を行うことにより、地域の人々の食への関心を高め、美食文化の向上を目指して様々な事業を行っています。ネット上ではBculinary ClubのFacebookページを、Twitterでもbculinaryclubを開設し、情報の発信、共有を行うとともに、リアルのイベントなどの事業を展開しています。今回のツアーでは、これらの広報や一般愛好家のコースをコーディネートしているアラスネ・シエンフエゴAlazne Cienfuegosさんという女性に施設の案内をしていただきました。
「オステグン・ファン・フードOstegun Fan Food」というイベントは、一般愛好家向けに毎週木曜日の19時から21時に開催され、ゲストシェフによって行われるバスク伝統料理の料理ショー形式のイベントで、前菜、メイン、デザートが調理され、試食も行われます。
講堂(オーディトリアム)では15日おきに、会費無料の講演会やパネルディスカッションも開催されています。このほか、一般愛好家向けの短期のセッションやコースも多数用意されています。

3.施設
立地
バスク・クリナリー・センターは、美食の街、サン・セバスチャン市の南部郊外の丘陵地帯にあります。サン・セバスチャン市内から31系統又は35系統のバスに乗って、丘陵地帯をしばらく走って、高速道路のトンネルの上の丘を越えると間もなくインチャウルデヒIntxaurdegiというバス停で、降りると目の前がセンターです。今回は、先に訪れたモンテ・イヘルドの丘から向かったので、たまたま来た35系統のバスに乗りました。ミラモン・テクノロジー・ビジネス・パークというテクノ・パークの一角にあり、センターの周囲には技術開発型の研究施設や住宅などが立地しています。市の中心部から約20分の距離です。

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建物
建物は5階建てで、正面からはわからないのですが、建物の裏手に回ると、皿を5枚重ねたようなユニークな外観が現れます。一方、住宅地に近いところにあり、住民の希望もあり、土地造成は最小限にして、従来の斜面の地形に沿って建てられたコの字型の形状の細長い建物であり、建物の中央には緑の植物におおわれた中庭が存在します。また、屋上にはソーラーパネルの設置や緑化が行われ、環境に配慮した建物となっています。

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レストラン・カフェテリア
いよいよ施設見学です。4階(日本流には5階)にはカフェテリアとレストランがあります。カフェテリアは学生が食事をするいわゆる学食で、定食が日替わりで供されますが、バスク・クリナリー・センターは調理の大学だけに普通の大学とは異なった意味を持っています。

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カフェテリア、レストランともに学生の8グループのうちの1グループが毎日交替で実習として調理を行うことになっていて、重要な訓練の場となっています。レストランは外部の訪問者が予約すれば利用可能で、60ユーロでコース・メニューの食事をとることができます。また、一般愛好家向けの料理教室も行われています。

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レストラン・カフェテリアの隣には多目的室があります。ここでは展示会、ビジネス交流会、ミーティングなどの様々なイベントを開催することができます。

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講堂
次に3階に下りて案内されたのは、施設の中でも最も素晴らしいと思われる200人を収容する講堂(オーディトリアム)です。最新のコンピュータ機器を備えた視聴覚設備のほか、舞台の上には調理台があり、講師が壇上で実際に料理をつくりながら講義をすることが可能になっています。各席には電源コンセント、ライト、テーブルが備えられ、席でテイスティングを行えるようになっています。

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舞台の隣に調理室と控室があり、予め準備された料理をそのまま壇上でデモンストレーションをしたり試食することが可能です。

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図書館
図書館は料理関係の多くの蔵書や資料が備えられ、学習と研究のリソースセンターとして、学生のグループ研究などに利用されています。

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倉庫
食材などは2階の搬入口からそのままストックヤードに運び込まれます。食材の種類ごとに倉庫で保管されます。

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ワークショップ・ルーム

2階にはワークショップ・ルームが多数あります。ワークショップ・ルームはテーマ別に設けられています。テーマは野菜、肉、魚、パン、デザート、加工食品、大規模ケータリングなどかなり細かく設定されていて、この大学が少人数のワークショップを重視していることが分かります。訪問したときには学生たちが実際に調理のワークショップを実施しているところでした。この大学の教育における中心的な施設です。

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官能分析研究室(sensory analysis laboratory)は人間の知覚と食品の関係の分析を研究したり学習したりする部屋で、仕切りにより区切られたテイスティング・ブースの各席には3原色のカラー・ライトが備えられ、色の違いによる味わいの変化なども確認できるようになっています。また、ブラインド・テイスティング出来るように、各席に食品の差し出し口が付いています。

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地階には研究室があり、研究員が常駐しています。まだ、調査研究事業は本格化していないようでしたが、今後、調理科学に関するスポンサー企業からの委託研究などが行われることになるでしょう。

4.戦略としての食科学の拠点
バスク・クリナリー・センターは食を科学の観点からとらえる食科学を基本テーマにしながら、一方では調理に関するハイレベルの人材育成機関であるとともに、他方では研究開発機関の役割を果たし、ビジネスとしての調理産業、食産業の振興を図るための拠点としての役割を果たしています。

また、地域との関連では、料理愛好家向けの短いコースや講演など啓発活動やバスクのトップシェフによる委員会、バスク料理の教室などを通じて、地域住民の文化的創造活動としての食のレベルを高め、食による創造文化都市づくりに貢献しています。さらに、国際的には国際顧問委員会を設けて、海外において委員会を開催し、各国の関係機関との協力連携関係を築き、海外から多くの学生を受け入れるなど、食における国際機関としての役割を担っており、その意味では最近良く聞く、グローカル化( glocalization)や「地球規模で考えながら、自分の地域で活動する」(Think globally, act locally.)という理念に沿った施設です。

この施設整備に当たっては、スペイン政府、バスク州政府、ギプスコア県政府、サン・セバスチャン市が16億円の資金を投じて、この最先端の設備を備えた校舎を建設しています。
日本は東京がミシュラン星付きレストランの数が最も多い都市であることに代表されるように、世界でも有力な美食国家の一つです。また、世界各国で日本食ブームによりレストランの出店が進んでいて、ヨーロッパの小さな都市でも寿司などを出す日本食の店を良く見かけますが、最近では、日本酒を置く本格的な日本料理のレストランも見られるようになってきました。

一方、日本国内では、現役世代の人口減少やデフレ経済の中で、2000年以降、国民の食料に対する消費支出が低下する傾向にあります。今後、成熟化した我が国の産業構造の現状を考えると、国際的に優位に位置する食産業をさらに発展させることの意義は大きく、特に観光や農業などの食に関連する産業が地域経済で重要な役割を担う地方圏においては、重要な産業戦略の一つとなります。このためには、調理、食品加工などの食に携わる高度な人材の育成や食に関する研究開発の推進が求められています。あわせて国民の食に関する消費支出を高度化させ、食文化を向上させるための努力も重要でしょう。

バスク・クリナリー・センターはまさにこれらの目的を達成させるための拠点であり、戦略性の高いプロジェクトであると思います。日本でも、国や地方自治体が中心となって、関連するビジネス分野の協力を得ながら、調理や食に関する教育、研究開発、普及啓発の機能をもった、食科学に関する複合拠点となる施設を整備することが、国家戦略としても求められているのではないでしょうか。

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