食の拠点施設整備について
第1 和食を中心とした日本の食の現状と課題
1.和食、日本食の国際化
世界的に和食、日本食はヘルシーな食として人気があり、和食、日本食レストランは増加の一途をたどっています。寿司はすでに早い時期から世界各国で普及していますが、ヨーロッパの小さな都市でも寿司などを出す日本食の店を良く見かけます。また、天ぷら、刺身、照り焼きなども一般的になっていますが、最近では、日本酒を置く本格的な日本料理のレストランも見られるようになってきました。食をテーマに昨年開催されたミラノ万博でも、日本館は大人気で6時間待ちの行列ができたほどです。
数のうえでは、この10年間で、日本食レストランは約2.4万店(2006年)、約5.5万店(2013年)、約8.9万店(2015年)と増加し、2015年現在アジアでは45,300店(2013年の約1.7倍)、北米では25,100店(2013年の約1.5倍)となっています。
特に、シンガポールでは日本食ブームで日本食レストランが日本から数多く進出しています。「和民」「吉野家」「モスバーガー」「牛角」など外食大手チェーンの他、ラーメン店など日本食の種類も出店形態も多様化して、シンガポールの統計局によると13 年の飲食店数6,751 店中日本食は約900店(推計)と、全体の約13%を占めています。
このように海外での日本食への関心が一層高まっており、この勢いを日本食や食文化の更なる普及や日本産食材の輸出拡大につなげていくことが、我が国にとって重要な課題であると政府では認識しています。
2.日本人の食生活の現状
日本国内の食の現状を見てみると、東京がミシュラン星付きレストランの数が最も多い都市であることに代表されるように、世界でも有力な美食国家の一つであることは事実です。日本食のファンとなった外国人を、食を目的として日本に呼び込むためには、さらに日本における食のレベルを上げていく必要があります。
一方、日本国内では、現役世代の人口減少やデフレ経済の中で、2000年以降、国民の食料に対する消費支出が低下する傾向にあります。世界における和食の人気とは逆行して、食生活の洋風化の影響で、和食や和食材の需要が減少しています。伝統的な調理方法や地域の伝統野菜などによる、伝統料理、郷土料理も過疎化、高齢化による伝承者が途絶えるなど日本の地域の食文化の維持存続が課題となっています。
また、食の洋風化、ファストフードの普及などにより脂肪の過剰摂取、高カロリーにより肥満、成人病、高血圧などが子供、若年層においても問題となっています。バランスの良い食事を普及させるとともに、日本伝来の食習慣を維持させるための食育が重要となっています。
3.海外における伝統文化としての食の保護戦略
(1)イタリアのスローフード運動
イタリアではマクドナルドのローマ進出を契機として、イタリアの地域に根差した食を普及させようとするスローフード運動が立ち上がりました。イタリアでのスローフード運動は全土に広がり、国際スローフード協会設立大会でのスローフード宣言を経て、国際運動となりました。 伝統的な食事、有機農業、健康によいものに世界の人々の関心が向かうようになり、世界各地で協会の支部が設立され、共鳴者を集めています。
現在でもイタリアでは地域独特の食文化が存続しており、州ごとにレストランの料理のメニューが全く異なります。日本ではバーニャカウダが全国のイタリアレストランのメニューにありますが、イタリアではピエモンテ州の郷土料理であり、ピエモンテ州在住のイタリア人が日本に来て驚いたとのことです。
イタリア料理は世界各地で親しまれています。イタリアのワイン、生ハム、パスタ、チーズ、オリーブ油などの食材は、重要な輸出産業となっています。それは、スローフード運動にみられる、イタリア各地の郷土料理や食材を愛する人々の誇りや愛情に支えられています。
(2)EUの食ブランド戦略
EUにおいては食のブランド化を進めるため、EU法により原産地名称保護制度が設けられ、EUのエリア全体で取り組みが行われています。このような取り組みが功を奏して、ワインやチーズ、肉などの農業製品がEU各国の主要輸出品目を担ってきました。一方、我が国においても遅ればせながら、地理的表示法、特定農林水産物等の名称の保護に関する法律が成立し、地理的表示保護制度がスタートしましたが、食のブランド化で後れをとっていることは否定できません。
4.日本の伝統料理、伝統食材と世界文化遺産としての和食の現状
(1)和食の世界文化遺産登録
平成25年12月、和食はユネスコの世界文化遺産に登録されました。「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録されたとのことです。世界中の人々から和食を中心とした日本食は愛されています。ただ、世界の和食レストランの中には日本がイメージする和食とは全く異なるものもあります。日本人が自ら和食を誇りに思い、日常的に愛して、伝統的な和食を将来に伝承していく努力を怠らないことが、世界文化遺産として評価される本来の日本文化としての和食をさらに世界に広げていくうえで重要です。
平成28年3月18日に閣議決定された第3次食育推進基本計画では、「和食」の保護と次世代への継承のための産学官一体となった取組を新たに進めることとしています。
(2) 日本の伝統野菜と伝統料理
日本でもイタリアと同じように、地域の伝統野菜や伝統料理があります。しかし、量販店のニーズに合致した大量生産型の農産物の普及や全国チェーンに代表される全国画一のレストランメニューの普及により、伝統野菜や伝統料理は絶滅が危惧されているものが少なくありません。イタリアと同じように、地域の食を愛し、地域の食文化を大切にすることが、地域の文化や伝統に根差した伝統野菜や伝統料理を普及させ、安全・安心で健康な食生活を実現し、農産物や加工食品の域外への移出や地域独特の食に出会うことができる魅力ある観光を通じて、地域経済を活性化することにつながります。
(3) 和食調理における徒弟制度
和食の世界では、伝統的に徒弟制度があります。和食の店に入店した若者は一人前になるには,食器の洗い方から始まって,材料の下ごしらえ,焼き物,煮物などと進み,長い修行が必要でした。料理人の技術は直接弟子から弟子に伝承されていき、ノウハウはオープンにされてきませんでした。現在ではかつてのような徒弟制度は少なくなりましたが、調理技術が暗黙知として伝承される側面が多いことは事実です。和食の料理店では少子化の影響もあって、人手不足の状態が続いています。今後、人材育成、人材確保をどう進めていくかということが課題となっています。後継者不足で店を閉めてしまう飲食店も多いようです。このような閉ざされた世界ですので、科学的な研究開発、技術開発も行われてきませんでした。
(4)和食に関する調理教育の現状
和食を含めて、調理に関する人材育成に関して中心的な役割を果たしてきたのは調理師専門学校です。調理師専門学校においては、和食、フランス料理、イタリア料理、パティシエなどの専門分野のコースが設けられていますが、和食、寿司に特化した専門学校はありませんでした。フレンチやイタリアン、パティシエ志望の生徒が大多数です。一方、世界を見渡すと、2013年に和食が世界遺産に登録され、グローバルな存在となり、世界中の人々が和食に憧れ、著名な料理人たちが和食のテクニックを習得しようとしています。
このような背景のもと、銀座の和食店小十の奥田透氏と鮨よしたけの吉武正博氏が中心となって、すし・和食に特化した「東京すし和食調理専門学校」を2016年に開校し、日本国内だけでなく海外からも生徒を集めています。
また、京都府立大学では和食文化を担う人材の育成、和食文化に関する研究の推進及び研究成果の府民への還元等を行うことにより、和食文化の保護、継承及び発展に寄与することを目的として京都和食文化研究センターを2014年10月に設立、京都の和食料亭「菊乃井」の村田吉弘氏らを客員教授として、平成27年度から、文理融合の学部横断型プログラム「和食の文化と科学」を開講、和食文化に関する教育、研究を推進しています。将来的には、文化と食の融合した和食文化に関わる新学部(学科)を設置することを目指しています。
5.我が国における食に関する教育・研究の現状と新たな視点の必要性
(1)我が国の食に関する教育・研究の現状
我が国の食に関連する教育・研究は、従来の学問的領域や省庁の縦割りが反映されており、農業関係、栄養健康関係、ホテルサービス関係などに分かれています。
農業関係では農業高校や、大学の農学部・水産学部を中心に農産物や魚介、農林水産加工食品に関する教育研究を行うための学部学科が設けられています。
医療、保健系においては健康面からの食品に関する教育研究が、栄養大学、家政学部においては栄養面からの食品に関する教育研究が行われてきました。
しかし、五感で感じる料理の評価や価値は、美術、音楽、文学等の芸術的評価や価値と共通する面があります。調理を構成する、食材の生産から調理加工に至る過程は、様々な自然科学分野を融合した総合的な教育研究が必要あるにもかかわらず、これまで既存の大学等の高等教育機関では取り組まれてこなかった分野です。調理に関する教育機関として人材育成を担ってきたのは、調理師専門学校や栄養専門学校などの専修学校です。
(2)総合科学としての教育・研究機関の必要性
料理に関する教育・研究は多岐にわたる科学分野が関連しています。自然科学の分野としては、食物の組成、変化に関する化学、発酵等の微生物に関する醸造学、農産物、水産物、畜産物など食材生産に関する農学・水産学・畜産学、食品加工技術に関する工学、五感や栄養健康に関する医学・保健栄養学、食の伝統文化に関する文化人類学、盛り付け、器など美学など多岐にわたる学際的アプローチが必要です。
したがって、調理に関する人材育成、研究開発を進めるためには、多様な科学分野における研究により、食、料理に関する技術、知識等を形式知化することが求められており、従来の大学等の高等教育機関や研究機関で行われてこなかった、新しい視点に立った人材育成、研究開発が求められることになります。
第2 和食を中心とした食に関する総合科学的な教育・研究の拠点整備
1.食の教育・研究拠点の整備の目的
以上のことを前提として、伝統文化としての和食や日本の伝統料理、伝統食材の伝承、維持、発展を期待する人文科学的観点と、和食を中心とした食材や調理技術に関する化学、工学、栄養学、医学等の自然科学的観点とともに、美的、芸術的観点を加えた総合科学としての調理や美食に関する教育研究を行う文理芸術融合の総合科学としての食科学に関する教育研究の拠点を整備する必要があります。対象は和食を中心に食、調理全般とし、以下の目的のために、人材育成、研究開発、教育普及等を行うための拠点施設を整備するものです。
① 食に関する人材の育成確保
和食の料理人の技術は、暗黙知として徒弟関係の中で見習い継承されてきましたが、長期間の修業など職業としてのハードルの高さが、担い手の不足など問題につながっています。少子化により若手人材が不足するなかで、質の高い和食を支える高度な人材の確保、技の継承を実現するため、科学的な人材育成システムによる和食を継承する人材を確保するとともに、調理人という職業が若者にとって魅力ある職業となることが期待されます。
② 和食を中心とする調理における研究開発
職人技として調理人が持つ技術をオープンにして科学的にとらえ、形式知とすることにより、後継者育成等の人材育成を進めるだけでなく、食における様々な科学分野における技術を融合し、研究開発を加速度的に進展させ、さらに和食をはじめとする食全般の調理技術の向上により、料理の質的高度化を目指します。
③ 伝統的なわが国の食文化の維持・継承
食の産業化、コモディティ化、ファストフード化、西洋化のなかで、和食における伝統技術、全国各地に伝来する伝統食、伝統野菜などの伝統食品、日本人独自の食文化が消滅する恐れがあります。これらに関して調査研究を行い、日本の伝統野菜の種の保存・育成、伝統的食文化の維持・継承を目指します。
④ 国民の食に対する認識の向上
西洋化する食生活の中で、過度なカロリーや脂肪の摂取、健康に良くない影響を与える食品や添加物など関して国民の啓発・普及を進め、日本人の健康に配慮された伝統的な食生活について国民が認識することにより、国民の健康を向上させるとともに、健康に良い和食の普及を進めます。
⑤ 和食の国際化への対応
和食が世界的に急速に広がる中で、日本の伝統に則り、日本産食材を使った伝統文化としての和食の普及を図る必要があります。このことにより、日本産食材の輸出振興や本場の和食を味わいためのインバウンド観光客の推進を図ります。
⑥ 和食関連産業の振興
和食はその原料として農業、水産業、畜産業のほか、醸造業等の食品加工業、食器産業など多くの産業分野にかかわっており、これらの多くは地方における伝統的な産業です。和食とともに、これらの関連産業における研究開発、人材育成を食との関連において行うことにより、地域における産業振興を図ります。
2.食の拠点施設を構成するものとして想定される施設・機関
以上の目的を達成するために整備する食の拠点施設を構成する施設・機関としては、以下のものが想定されます。
(1)大学
4年制大学を設置し、国内外から学生を募集、食に関連する文理芸融合の多様な分野にわたる教育を実施する。日本人、外国人の代表的シェフを招へい、調理の高度な実習を実施する。招へいしたシェフによる和食、フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、中華料理の高級レストランを運営するとともに、学生の実地研修の場とする。教授、講師、研究員等による食に関する研究開発を行う。
① 学部
4年制大学の想定される学部としては以下のものが考えられる。
・調理学部
・食品加工学部
・食文化学部
・食育学部
・食産業学部
② 付属機関
大学の付属機関としてホテル、レストランを設置運営し、学生の実地研修を行うほか、食に関するコンベンション機能を備える。
③ 調理技術、食品加工技術の研究開発施設
レストラン、旅館ホテル、食品製造業などとの共同、受託研究を実施し、成果を食関連産業に普及させことにより、食関連産業の高度化を図る。
④ 食に関する普及啓発施設
地域住民向けの調理、料理文化に関する各種講座、ワークショップを実施、地域の食文化の向上を図る。
⑤ 和食・日本食におけるブランド管理機関
和食・日本食において、日本の伝統・文化に沿ったものを普及させていくため、認証基準を定めるとともに、基準に合致するものについて認証管理を行うための機関を置く。
⑥ 日本の伝統食、伝統食材の調査研究
日本の各地に存在する伝統的な料理、食習慣、伝統野菜等伝統的な食材を伝承するための調査研究を行う。
(2)研修機関
旅館、ホテル、レストランに従事する調理関係者の教育・研修を行い、調理技術のレベルアップを図る。日本国内および世界各国から研修生を招き、日本料理をはじめとして各国料理の研修を実施するとともに、伝統的日本料理の世界への普及を図る。
(3))コンベンション施設
食に関するイベント、学会、展示会、見本市などを開催可能な食に特化した機能を有するコンベンション施設を整備する。
(参考)世界の食の拠点施設の先進事例
① バスク・クリナリーセンター(スペイン)
ミシュランガイド三ツ星のレストランが3店あり、旧市街のバル街には世界中から観光客が訪れるなど美食の街で知られているスペインのバスク州サン・セバスチャンにある4年制大学で、地元バスクの企業グループが事業主体で、州政府等の補助が行われている。調理を物理的、化学的に解析した科学的学問分野である分子調理に重点を置いた大学として、世界で初めてのもの。付属のレストラン、カフェにおいて研修生が実習を行う。企業に開放された研究開発室、地域住民の参加できる研修会や研修プログラムなどの普及啓発機能もある。
② 食科学大学(イタリア)
イタリアのピエモンテ州ポッレンツォという村に、食科学大学(University of astronomic sciences)という、スローフード協会本部によって設立された教育機関。食文化などの人文科学系の食に関する教育が中心である。