奈良旅行4日目は奈良から飛鳥に向かいます。飛鳥駅は近鉄線にあるので、近鉄奈良駅まで行かなければなりません。それも2回乗り換える必要があります。かなりテクニックが必要です。近鉄奈良駅とJR奈良駅をはじめ、近鉄とJRの駅が別のところにあり、連絡していないところが多いため、個人観光客にとって貴重な足である公共交通が機能していないのが奈良県観光の最大の問題です。電車のネットワークが緻密であるだけに残念です。
まず、大和西大寺駅へ。ここから橿原神宮駅まで特急で。さらに橿原神宮駅で特急に乗り換え飛鳥に向かいます。自動販売機では飛鳥までの特急券を買えないので、窓口で購入します。自動販売機で橿原神宮までの特急券を購入してから気が付いたので、窓口で交換してもらいました。近鉄はかなりわかりにくいです。窓口で駅員に相談することをお勧めします。橿原神宮駅からは2両編成の大阪方面から来た吉野行き特急です。指定された席は号車番号が全く同じでした。 中高年に人気のある飛鳥、1日で回るには自転車が必須です。飛鳥駅前にはレンタルサイクルショップが3軒あります。
橿原神宮駅などで乗り捨て可能なレンタサイクルショップもあります。飛鳥はかなりアップダウンがあるので、特に体力を鍛えたいという目的がない限り、電動自転車が必須です。飛鳥時代の古墳は古墳時代のものと違って、小規模のものが多いようです。飛鳥駅近くの岩屋山古墳へ。横穴式石室の古墳です。石室の中まで入れます。
欽明天皇陵の駐車場の隅に吉備姫王の墓、皇極天皇や孝徳天皇の生みの母とされています。
猿石。奇妙な形の石がなぜか飛鳥には多い。 こちらが欽明天皇陵です。広々とした前方後円墳です。
坂を上っていくと高松塚古墳へ。古墳の前に高松塚壁画館があります。
昭和47年の発掘調査で極彩色の天平美人などを描いた壁画が発見され、古代史ブームのきっかけとなった古墳です。最近カビの繁殖などで消滅に危機にあることが判明したため、薄く剥がして近くの施設に移して修復中とのことで、こちらでは精巧な模写などが展示され、ボランティアガイドの方に詳しく説明していただきました。
キトラ古墳は高松塚古墳からはかなり離れたところにあり、訪れる観光客は少ないようですが、周辺は国営飛鳥歴史公園の一部として新たに整備され、開園しました。公園の中に「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」もあります。天武・持統天皇陵。天武天皇とその皇后であった女帝の持統天皇が合葬されています。
亀石。亀の形をしているとのこと。確かに亀に見えるかもしれません。明日香村の中心部に入っていきます。
橘寺。聖徳太子の生誕の地と言われています。厩戸の皇子が当時の名前で、この名称を使うべきとの見解もあります。
当時の遺構はないですが、聖徳太子の愛馬「黒駒」の像もあったりなんとなくその気分になる寺です。田んぼ越しに見る風景が日本の原風景として飛鳥らしい絵になっています。
この寺にある二面石は亀石とともに飛鳥時代の石像だそうです。右善面、左悪面といい、人の心の善悪二相を現しているとされています。
2階にある農村レストラン夢市茶屋です。売店のレジで食券を買うのがちょっと夢がないのですが、冬季限定の豆乳入り鍋の飛鳥鍋御膳のチケットを買って2階のレストランへ。
黒米、赤米などが入った古代米のご飯がそれらしい感じです。奈良の伝統的な郷土料理である牛乳ベースで鶏肉などの煮た飛鳥鍋ですが、大化の改新ころ牛乳が天皇に献上された記録があるようで、飛鳥鍋は飛鳥時代に考案された鍋が郷土料理として残っているとのことです。
石舞台古墳。小学校時代にも訪れた記憶があります。周辺もほとんど変わっていないようでした。飛鳥観光の中心地だけあって多くの観光客が訪れいていました。
ここから山沿いの道を岡寺へ。岡寺の駐輪に自転車止めて、階段を上っていきます。バリアフリーと程遠いのがこの寺の観光地としての難点です。
このため観光スポットしては、ランキングは上ではありませんが、ご本尊の如意輪観音坐像は厄除けの信仰を集めているとのこと。三重塔も立派ですが、さらに登っていくことは断念しました。花の寺としても有名ですが、この時期まだ紅葉が残っていて、なかなか風情のある光景でした。
狭い山道を何とか自転車で降りてたどり着いたのが酒船石遺跡。不思議な形状をしています。
奈良県立万葉文化館。万葉集を中心とした日本の古代文化を研究紹介する施設とのこと。場違いの感のある近代的な立派な施設です。県立の博物館施設。いわゆるホコモノ行政の典型人形と映像による歌劇やアニメーションの劇場があるとのことです。ターゲットは児童生徒なのでしょうか。大きな施設に観光客はまばらです。
これだけのお金があったらサイクリング用の道路整備や案内板の整備、外国語対応などもっとやるべきことがたくさんあるのではないでしょうか。
この施設の中を自転車で横切って、飛鳥寺へ。かつてはかなり規模が大きかったらしいお寺ですが、蘇我馬子によって建立された日本最古の本格的寺院とのことです。平常遷都とともに奈良に移転し、元興寺と名を改められています。
飛鳥地方の他の寺と同様に、かつての面影はありませんが、この寺の最大の見ものは飛鳥大仏と言われる609年に完成したといわれる日本最古の仏像で、ご本尊の釈迦如来坐像。
面長でちょっとギリシャ彫刻を思わせるような西洋風のエキゾチックな顔立ち。アーモンド形の目など飛鳥時代の仏像の特徴をよく表しています。伝来したばかりの仏教を先駆的に取り入れ、国家の礎を築こうとした蘇我氏の改革戦略がここに表現されています。
座ってゆっくり眺めると味わい深い仏様です。50年ぶりの再会ですが、1400年の歴史の中ではわずかな時間にすぎません。
この飛鳥大仏は奈良県の寺では珍しく写真撮影可能で、和尚様が丁寧に解説もしてくれました。
飛鳥の最後の見どころは甘樫の丘。日本書紀にも記述されている丘だそうです。なだらかな丘ですが、標高150メートルの丘は、かなり登るのはきついです。高齢者のグループが元気に登っていました。頂上からは飛鳥の郷や奈良盆地、大和三山、生駒山などが一望できます。
大和三山が一望できます。 右側が天の香具山(かぐやま)、均整の取れた山が耳成山(みみなしやま)です。
明日香村をあとにして、橿原市へ。自転車では意外に近いです。最後のサイクリングの目的地は橿原神宮です。
伊勢神宮と並ぶ近鉄沿線の初詣の神社。かなり広く立派です。神武天皇と皇后を祭っています。干支のジャンボ絵馬はすでに新年の酉に架け替えられていました。
橿原神宮近くのレンタサイクル店で乗り捨て料金を払って自転車を返しました。まだ明るいうちにサイクリングは終了。飛鳥の旅には電動アシスト自転車のレンタサイクルが必須です。
橿原神宮駅から近鉄の各駅停車に乗って八木西口駅で降ります。ここから歩いて訪れたのが堀で囲まれた街今井町です。江戸時代に栄えた商都、500軒の江戸時代の伝統的な建築様式の町屋が今も残っています。伝統的建造物が一つの街ごと残っているところは日本ではここ以外にありません。街道沿いの宿場町はありますが、ここは狭いながらも一つの都市国家が丸ごと残っています。木造建造物の都市国家としては世界唯一かと思います。当然ことですが、重要伝統的建造物群に指定されています。
飛鳥川にかかる蘇武橋を渡り、エノキを右に見ながら濠にかかる橋を渡ると今井町です。
まず外周の通りを南下して、一番端にある今井町まちなみ交流センター「華甍」を訪れることにします。この建物は明治36年(1903)高市郡教育博物館と して建設され、昭和4年より今井町役場 として使用されてきました。
当時、奈良県の社会教育施設としては、奈良公園の「帝国博物館(現 奈良国立博物 館) 」に次ぐものだったそうで、現在は、今井町 の歴史を解説する資料館として、 展示コーナー、映像シアター、図書閲覧室などがあり、今井町を訪れる際に、インフォメーションセンターとして最初に訪れると今井町の基礎知識を得ることができるのでお勧めです。町並の案内図の掲載されたパンフレットもこちらでいただくことができます。
まず、高木家住宅へ。重要文化財ですが、こちらは有料で見学することができます。19世紀中ごろの建築で、江戸時代の造り酒屋です。座敷を上がると火縄銃や江戸時代の生活用具が展示されています。火縄銃はかなり重いです。
隣りが河合家住宅です。こちらも重要文化財ですが、こちらは現在も河合酒造とうい造り酒屋を営んでいます。
この通りを西に向かうと、通りは折れ曲がっています。今井町の通りは、敵の侵入に備えて、 その遠見、見通し、弓矢・鉄砲の射通しを不可能するため、折れ曲がっているそうです。
左折のあと右折すると御堂筋という通りになりまこちらは空き町屋利活用事業として、「橿原市手をつなぐ育成会」の社会活動の拠点「ゆゆうゆ~今井」です。組紐など伝統的な創作活動を行っていますます。恒岡醤油醸造本店です。明治創業の老舗ですが、今井町では新興勢力。
南側の通り御堂筋を西に行くと称念寺があります。今井町は、称念寺の境内地として発達した「寺内町」とのこと。建物は、江戸時代初期に再建され た大規模な浄土真宗本堂だそうですが、残念ながら現在修復中で見ることができません。
その西には「夢ら咲(むらさき)長屋」。案内所、休憩所やショップなどが入る複合施設が併設されています。
その西には重要文化財の豊田家住宅があります。この立派な建物は寛文2年(1662)に建設されたもので、今西家住宅と並ぶ今井町における上層町家の好例だそうです。
豊田家住宅の隣には、今井町の豪商の江戸から明治にかけての当時の逸品を保有している唯一の資料館「紙半豊田記念館」があります。午後5時で、ちょうど閉館したところでした。
その先は今井町の西の端になります。こちらの濠は現在再現工事中です。今井町は周囲に濠を巡らせた環濠集落ですが、明治以降濠が埋め立てられてきたとのことです。西側のこの地区では濠の復元事業が行われています。
すでに復元された濠のほとりには慶安3年(1650)に建てられた今西家住宅があります。城郭のような立派な建物です。
今西家の北側の本町筋やその北側の中道筋を通って、東方向に戻っていきます。こちらにはカフェや料理店などが並んでいます。
今井町は実は奈良の観光地で潜在的な力を持っている街です。特にインバウンドでは日本でも有数の観光地になる可能性があります。現在は生活の香りがする一般の民家が多いようですが、町屋を利用した茶店や料理店、商店がオープンすると街歩きの楽しみも増すことでしょう。
観光地が集まっている奈良という場所に埋没して、その伝統的な街並みが観光地化していないのが現状です。この街が奈良県という歴史コンテンツの豊富な観光地の中になければ、今頃は大ブレイクしていることは間違いありません。
外国人にも人気が出そうなエリアであり、奈良市内のならまちよりも街としての魅力は大きいと思われます。
自転車ツアーと街歩きがセットになった飛鳥・橿原エリアは日本でも有数の国際的観光地になる可能性があります。プロモーションとインバウンド対応のWifiや案内施設、食事処などのハードとソフトのインフラ整備が急がれます。
現在、観光の潮流は街歩きと農村観光です。それに文化と歴史と食が加わると最高のコンテンツになります。自転車もキーワードの一つ。これだけコンテンツが充実しているエリアは他にないでしょう。