2017年9月に訪れた埼玉県熊谷市。

前編はこちらをご覧ください。

東京に一番近い地方都市「熊谷」(その1:中心市街地)

熊谷市の中心市街地を離れて三尻地区へと向かいます。

三尻地区へ
私が小学校3年まで住んでいた三尻地区。55年前、前回の東京オリンピックの頃です。まず通っていた三尻小学校に向かいました。当時は秩父鉄道や東武鉄道のバスがあったと記憶していますが、現在は多くの地方都市と同様に熊谷市ゆうゆうバスというコミュニティバスが運行されています。

1系統のさくら号は上之荘という停留所から行田駅に近い東部のエリアを回って、ターミナルの熊谷駅南口により、運動公園を経由して、三尻地区、自衛隊前を通って籠原駅に向かうというコミュニティバスとしては長大な路線です。運動公園に立ち寄るためかなり時間がかかりますが、三尻地区住民にとっては貴重な足であり、高齢者を中心に、かなりのお客さんが乗っていました。かつてはたぶん秩父鉄道のバスが走っていたと思われます。

江南行政センターを起点に南部のエリアを巡回する第5系統ほたる号もこの三尻地区の中心にある三尻郵便局を通っています。こちらは東武鉄道系の国際十王バスが運営しています。

権田酒造
三尻地区にある酒造会社です。日本酒の酒蔵の多い埼玉県ですが、熊谷市では権田酒造が唯一の蔵です。1850年創業、埼玉県の酒造好適米「さけ武蔵」や県開発の酵母を使用、地元に密着した酒蔵で、熊谷市所縁武将、熊谷次郎直実の名を冠した「直実」が主力の銘柄です。醸造所も販売所もすべて木造の趣のある蔵です。

社長で蔵元の権田清志さんは私と同じ三尻小学校の出身で同窓生、当時の学校の話をいずれゆっくりと話したいものです。

観音山
三尻地区のシンボル観音山は小さな山ですが、新幹線の車窓からも近くに見ることができ、いつも懐かしく見ていました。小学校の校歌にも出てくる山で、学校の行事でもよく登ることがありました。50年ぶりに登ると、実に小さく感じました。頂上からの眺めも、もう少し良かったような気がします。近くに見えるのは当時の秩父セメントの工場、現在は太平洋セメントになりましたが、変わっていません。

三尻小学校
観音山から母校三尻小学校に向かいます。当時はあたりはすべて農地だったのですが、住宅地が広がっています。こんなに駅から遠いところまで住宅地となったのかとと治ははきます。分譲中の新築物件もあります。高崎線の始発の籠原駅までマイカーで向かうのでしょう。    

小学校は50年前の木造校舎はさすがになく、すべて鉄筋校舎となっていましたが、当時新築の鉄筋校舎はまだ健在で、それに増築された校舎が一体となって、かなりの規模の小学校となっているようです。人口がかなり増加したのでしょう。学校の敷地も拡大したようで、体育館が新しい敷地に新設され、道路の位置が変わっていました。校庭は当時のままで、懐かしく思われました。

開校100年を迎えたのが昭和48年ですからもうすぐ開校150年を迎えようとしている歴史のある小学校です。

自衛隊官舎へ
当時、私は父親の仕事の関係で自衛隊の官舎に家族と住んでいました。自衛隊に隣接した官舎から学校までは20分ほどの通学時間、当時は道路は未舗装で、雨の日は水たまりができて、長靴でよけながら通学しました。バス通りも砂利舗装でした。通学路の両側には桑畑が続いていて、農家の集落の森が遠くに見えました。現在は当時の面影が全くありません。通学路の両側は住宅地と郊外型のレストランや店舗が続きます。大きなスーパーも途中にありました。

一方、当時の自衛隊近くの中心街でスーパーや八百屋や食堂などにぎわいのあった美土里町周辺は空き店舗や駐車場が多く、かつての賑わいはありません。このような田舎の狭いエリアでも、日本各地で見られるように、中心市街地の空洞化と郊外化、大規模店立地が進んでいることに驚きました。

自衛隊官舎
十数年前に訪れたときも、かつて住んでいた自衛隊の官舎に立ち寄りました。

当時は小学生時代とほとんど変わっていない、米軍の立てた平屋の洋風住宅が並んでいました。しかし、今回はすべて5階建てのアパートに変わっていました。

建物の間は駐車場となっていましたが、当時遊んだ空き地にあった大きな銀杏の木は駐車場の一角にまだ健在で、さらに大きくなっていました。住宅を整備する際に、このシンボルのイチョウの木は残したものと思われます。  

小学生時代jにイチョウの木に登った感触が蘇ります。

かつて隠れ家の洞穴を掘った斜面は残っていました。

籠原駅周辺
自衛隊から籠原駅までは自衛隊通りという、この辺りのメインロードです。こちらも当時の面影は全くありません。大規模なショッピングセンターや郊外店が続き、かつて田んぼ広がっていた周辺は区画整理が行われていて、一戸建ての住宅街が広がっています。築年が浅い住宅も多いようです。

かつての農村地帯に都市計画が行われ、市街化区域として都市インフラが整備されたものと思われます。

橋上駅として整備された籠原駅周辺はマンションが立ち並び、熊谷市という地方都市の郊外でありながら、東京郊外のベッドタウンと同じような光景が広がっています。

籠原駅が高崎線の始発駅であり、座って都心方面へ通勤が可能なうえ、湘南新宿ライン、上野新宿ラインが開通したことにより、都内の主要なビジネス拠点に一本で通勤することが可能となったことから、籠原駅の住宅としての魅力が、東京よりの都市に比較して、格段に高まっているものと思われます。高齢化が急速に進むなかで、都心からかなり遠隔地にある住宅地の今後の変化が心配されます。

かつての養蚕の盛んな純粋農村だった三尻地区と籠原駅に至るエリアは大きな変貌を遂げています。都市計画により市街化区域に指定されたことが大きな要因であり、都市計画制度の影響力を知ることができます。特にここ10年余りの変化が大きいのは、高崎線の利便性の向上により、始発駅としての住宅地の魅力が高まったことが大きいものと考えられます。熊谷市中心部の成熟都市としての変化とは対照的なものを感じました。