西武沼津店が1月31日で55年間の歴史を閉じて閉店した。これだけを見る限り、全国どこでもありるような百貨店の撤退にすぎないようにみえる。全国の地方都市で商店街のシャッター通り化が進んでいて、これを誰もが違和感なくある程度当然のことと思われるが我が国の現状であるが、世界各国、特にヨーロッパの都市の現状と比較すると、かなり異常な状態であることが分かる。
そのなかでも、西武沼津店が立地していた静岡県東部は人口124万人、この人口規模以下の県も多く、百貨店の空白エリアとしては全国に例を見ない、人口規模の大きな地域である。
日本では、現在のところ、都道府県庁所在市で百貨店の存在しない地域はない。人口60万人に満たない鳥取県には百貨店が3店舗ある。これまで、最も大きな人口規模の百貨店の空白地域は長岡市を中心とする新潟県中越地域で、人口規模は80万人、北陸で展開する百貨店大和が撤退したため生じたものである。沼津市ではかつてあった大型店が相次いで撤退している。長崎屋、マルイ、ニチイ、ユニーなどである。報道によると、西武沼津店の撤退の理由が郊外大型店との競合だそうだ。しかし、この地域には競合する大型店はない。
郊外に立地する大型店を見ると、売り場面積が2万平方メートルクラスの店が2店舗ある。イトーヨーカドー沼津店をキーテナントとするイシバシプラザは39年前にオープンしたSCである。サントムーン柿田川は店舗面積を広げたが、業態はSCであり直接競合する店はない。SC経営力としてはイオンモールやゆめタウンに比べると、テナントリーシング(女性向けアパレルのカバー率の低さなど)や空間設計が稚拙であり、駅前立地にも関わらず、このような大規模店に競合して売り上げが落ちるということは、百貨店の余程経営レベルがいかに低いかということだろう。ほかに競合する大型店はこのエリアにはなく、イオン系の超大型店が集中立地する静岡県西部地域や都心店が林立する静岡市に比べると、無風状態ともいうべき競合のない平和なエリアである。
一方、西武沼津店と同じ日に閉店する、呉そごうの撤退の原因となったゆめタウン呉は、そごうにすぐ近い呉駅から徒歩5分の距離、駐車場1400台、循環バス運行、店舗面積22500㎡で、そごう同様市の再開発ビルに立地したSCである。呉市の人口は23万5千人、大都市広島までJRで40分、商圏人口は多いとは言えない。この6年前にオープンしたSCとの競合は理解できる。
西武沼津店の撤退問題を考えると、静岡県東部地域の住民がどのような消費生活をしているのか、わからなくなる。
むしろこのような競争のないことが、店舗経営における危機感の欠如を招き、外商による一定レベルの売上げ確保により、地域に対するマーケティング努力の欠如を招いたとみるべきではないか。つまり西武沼津店の店長といえば、何もしなくても、ある程度、数字が稼げる安泰ポストであった。
ただ、問題は建物構造である。百貨店の常識ではありえないようなワンフロアの狭い面積と上下異動の伴う縦積みの建物、しかも本館・新館を空中廊下でつなぐという非効率な構造。店舗構造が悪すぎる。このようななかでここまで生き延びてきたことがむしろ不思議なことかもしれない。撤退後の空ビルの利活用は極めて困難というほかない。駅前一等地に空きビルが2棟存在するということが、いかに都市のブランド価値を低下させ、地域経済にマイナスの影響を与えるかということは、容易に想像できることである。
西武沼津店は2009年から赤字化し、毎年の赤字は1億円という。既に撤退した有楽町店の赤字が10億円程度というから、それに比べると大した話ではない。経営手腕次第では回復できる程度の額ではないだろうか。その程度の赤字にもかかわらず撤退を決めたのは、むしろ、そごう・西武とこれを傘下にするセブン&アイ・ホールディングスのグループ全体の選択と集中のマネジメント戦略の結果といえよう。経営効率が相対的に悪く将来性のない店舗から、経営効率が良く将来性が見込める店舗への経営資源の再配分である。
この地域の将来性があれば撤退することはない。震災を契機とした急激な人口減、地域の産業構造による地域経済の将来見通しが深く関係しているのではないかと思う。鉄道高架化事業の停滞に代表されるように何一つプロジェクトが実現しない行政のガヴァナビリティの低さ、地域の沈滞化イメージ、その閉塞感に慣れ親しんでしまった市民の意識と行動力(シチズンシップ)の低下に失望するとともに、まさか反対運動や慰留の動きは出るとは思ってはいないのだろう。